難病母と30代シングルマザーの介護日記:介護2年目~ダブルケアの辛さ~

介護の体験談

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食事問題

私がまだフルタイムで勤めていた時。

日勤のみだったので、8:00~17:00まで。

大体定時に仕事を終わらせていたのだけれど、毎日30分くらいはサービス残業。

終わって買い物して帰るのは、どれだけ頑張っても18:00過ぎ。

そこから19:00までにはご飯を作らなければならない

なぜか…

母は19:00きっかりに食事を食べないと気が済まないため。

しかし、1時間ないくらいで作れる料理なんて限られてくる。

そこで母の不満勃発。

「ろくなものが出てこない。これじゃ栄養が足りない」

私にしてみれば、それでもおかずだけで3品以上は出しているのにまだ不満かと言いたい。

例えば、ウインナーと卵の炒め物。

ゆめ(娘)が好きなのでよく作るのだが、これは母は食べない。

「これは朝ご飯でしょ」

という理由らしい。

結局自分の好みでないものは食べないため、ろくでもないものという位置づけなのだろう。

嚥下(飲み込み)が悪くなってきたため、硬いものは基本食べれない。

お肉も鶏肉は食べないし、魚も煮たものしか食べれない。

豚肉も細切れはダメ、豚バラの薄切りを細かくしてやっと食べれる状態だ。

こんな状態で満足いくものを毎日作れる技量は私にはない。

ましてや1時間という時間制限。

どうしろというのか。

惣菜はほとんど食べない

食べるのはお刺身くらいなので、家計負担が大きい。

お弁当も何度か買ってきたが、その度に美味しくないと言われる

元々育った地域が違うので、味付けが違う。

どこの物を食べても美味しくないというのはそういうことだと思うことにした。

結局ゆめ用と母用と二重に作ることになった。

離乳食を思い出すが、そんなに生易しいものじゃない。

離乳食並みにやわらかくすると嫌がるし、一言二言必ず小言が入る。

これが患者本人のためなのだろう。

嚥下の状態を考えると、おかゆが良いに決まっているが美味しくないから軟飯にする

おかずも食が細いから少なくて良いのだが、食欲を少しでも上げるために何品か用意する

まさにQOLの向上

看護の精神そのもの。

笑ってしまうけれど

仕事はそうするべきだとは思う。

だって仕事だもの。

他人だから優しくできる

どうすればその人のためになるのかを、一生懸命模索する。

それが正しい看護のあり方だろうと思う。

しかし、それを在宅介護にも求めるのか

そこまで完璧にできる人がいたら、それは聖人だろう。

なんて思いながら毎日ご飯を作っている。

本当はもっとゆめが食べたいものを作ってあげたいけれど、そうはいかない。

介護をしていると、患者を1番にしないといけないから。

母とゆめの関係

在宅介護を始めて1年が経ったころ、ゆめが小学生になった。

この頃からか、ゆめが母と喧嘩するようになった。

今までは言われても黙っていたが、ハッキリと自分の意見を言うようになったのだ。

これに母が激怒。

「子供が大人に口答えするなんて」

こう言うようになった。

あー結局私の時と同じだ。と思った。

子供は親の言うことを聞いておけば良いスタンスの母は、ゆめが反抗したことが気に入らなかったのだ。

私は反抗しなかったから尚更だろう。

正確には反抗できなかったんだけど。

母とゆめの会話を聞いていると、なんともいたたまれなくなる。

ゆめの話を真っ向から否定するからだ。

まだまだ小学1年生。

話を大げさにしてしまったり、自分の中で脳内変換してしまうことがある。

例えば、以前行った水族館に似た映像がTVに映る→きっと行ったところだ!→「あそここの前行ったね!」

という感じ。

それに対して母は、「こんな遠い所行ったことあるわけないじゃない」

とバッサリ言ってしまう。

確かに行けるはずのない所ではあるのだけれど、とにかく言い方がキツイ。

あるわけないと否定されると、ゆめも意地になって反抗する。

どちらも折れないので、結果的に喧嘩になってしまうのだ。

ここで私がゆめの味方になると、もう手がつけられない。

「なんで私が責められなくちゃいけないの!私のことなんてどうでもいいのね!」

と烈火のごとく怒り出す。

もう正直この頃は

「うん、どうでもいいよ。ゆめの方が大事だし」

と思っていた。

口に出しはしなかったけど。

病気だけれど…

結局その場は何も言わずに、後からゆめのフォローに回る日々だった。

「ゆめの言いたいことはわかるよ。でもおばあちゃんは病気だからね…」

と言っても他の人より少し動けないだけ

口は達者に動くものだから、ゆめにとっては具合が悪そうには見えないのだろう。

この頃の母は、利用する酸素量は多いものの(安静時3~5Ⅼ、労作時7Ⅼ)まだ自分で歩いていた

一緒にダイニングテーブルでご飯も食べていたし、勿論トイレも歩いて自分で行っていた。

長く立っていることができないのでご飯を作ることはできなかったが、冷蔵庫から物を出したりすることはできた。

そしてこの状態から、1度も入院することなく、なんと2年以上が経過した。

たまに熱を出すことはあったが、訪問診療で医師に来てもらっていたおかげで、軽い段階で処置してもらうことができた。

初めは医師から「1年もたないと思う」と言われていたのに。

がんと違って、予後が予測しづらい病気なのはわかっていたけれど、正直予想外だった。

この頃から仕事と家事と介護を両立するのが難しくなってきていた

中々ゆめのことまで手が回らなくなってきたのだ。

小学校に上がったばかりで、まだまだ手がかかる。

帰ったら話を聞いて、連絡帳の確認。

次の日の準備も一緒にしなければいけない。

唯一、宿題だけは学童でしてくることが有難かった。

しかし、帰っても優先すべきは母だし、何よりゆめが寝る時間まで3時間しかない。

少しでも寝る時間が過ぎようものなら、「早く寝せなさい」と母からグチグチ言われる

ゆっくりゆめの話を聞くこともできず、モヤモヤだけが募っていった。

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