難病母と30代シングルマザーの介護日記:介護3年目~両立の限界~

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目次

仕事は好きだったけれど…

母との同居が始まって3年目

とうとう仕事と家事と介護と育児と…が限界にきた。

好きな仕事とはいえ、ストレスがないわけではない。

フルタイムではそれなりに疲れるし、何より定時に帰らなければいけないため仕事が終わらない日もある。

そんな時は、休みを返上して少し仕事に出たりしていた。

母はというと、長く歩くことが難しくなり外では車椅子が必要になった。

当然自分で外出することはできないので、付き添いが必要になった。

酸素量も徐々に増えていき、この頃は動く時は10Ⅼが必要になっていた。

車椅子で座っていると5Ⅼ~7Ⅼ

看護師さんに介助して入れてもらう訪問看護でも、10Ⅼ必須となっていた。

というのもボンベの流量計は10Ⅼまで。

実際お風呂に入った後は、10Ⅼ流していてもspO2は80前半まで下がっていた。

医師いわく、母は心臓が強いのだそう。

肺がダメになっていっても、その分心臓が頑張っていると。

また、他の臓器に異常がないことも大きな要因だろう。

肝臓も腎臓も正常値。

肺以外に悪いところがないと言っても良いくらいだ。

それでもまだこの時は、家の中では多少歩いていた。

トイレも自分で歩いてなんとか行けていたし、この状態がずっと続いていくのだろうと漠然と思っていたのだが…

突然の状態変化

ある日状況が一変した。

市販されている赤飯を喉に詰まらせたのだ。

今までも物を喉に詰まらせることは度々あった。

咳込む力が弱いため、詰まった時には背中を叩いて出していた。

ちなみに、健常者がムセている時は基本的に叩くことはお勧めしない

普通の人は自分で咳をして出そうとするからだ。

そして、出せるだけの能力がある。

叩けば叩く程、異物を奥に追いやってしまう可能性があるので注意してもらいたい。

少し脱線してしまったが、その時はいつもとは明らかに違う感じだった。

叩いても出てこず、本人も上手く呼吸できていない。

段々咳と一緒に鮮血が出てきてしまった。

10分近くそんな状態が続き、やっと異物が出てきた。

その後はしばらくなんともなかったが、問題は次の日。

40℃近くまで発熱した。

しかも日曜日

医師に連絡し、とりあえずいつもの抗生剤を飲むことになった。

が、午後になって急に失禁

今までそんなことは一度もなかったし、本人も勝手に出ると言っていた。

急遽オムツを買いに行き、そこから介助が始まった。

ご飯も自分では食べれなかったのでおかゆを食べさせる。

夜はつきっきり状態だった。

月曜日になって再度医師に連絡。

朝から状態を看護師さんが見に来てくれた。

結局午後から医師も来たが、入院はさせてもらえなかった。

本人が拒否したから

そこからしばらくは地獄の日々がしばらく続いた。

寝たきり状態を一人で介護。

そもそもだが、看護師さんに身体を拭いてもらうのは申し訳ないと私に拭かせるのはなんなのだろう。

とはいえ、覚悟しておいてねと言われたからにはやるしかない。

夜もほとんど寝れない日々。

ところが、幸いにも熱は1週間程で収まり、体力も2週間程で少し戻った。

驚異的な回復力

しかし、歩くまでは回復せず、家でも車椅子の生活になった。

熱が収まった頃、ポータブルトイレを導入した。

車椅子に移れるようになったので、ポータブルトイレなら自分で行けるかもしれないと思ったから。

ポータブルトイレや福祉用具に関する記事はこちら☟

業者さんがすぐに用意してくれて、自分で行けるようになった。

夜もつきっきりでいる必要がなくなったため、心から安堵した。

その後も少しずつ回復していき、トイレに車椅子だが1人で行けるまでに回復した。

お喋りな口も元に戻った。

そして、これくらいからだろうか、さらに食べれる物が減った

いっそミキサー食にしてしまいたいと思うが、本人の意識がハッキリしている以上それはできない。

おかゆでさえ美味しくないから食べたくないと、わざわざ軟飯で炊けと言う。

今回はなんの前触れもなく突然状態が悪化した。

これが在宅介護の恐ろしい所でもある。

そういえば、間質性肺炎だと言われたのもこの頃だった。

たまに肺音を聞いていたが、確かにこの頃から間質性肺炎独特のバリバリという音が聴こえやすくなっていた。

母はとても痩せてきていたので、聴診器がなくても背中に耳をつけると音が聴こえる。

といってももう3年もレントゲンなどの検査もせず、血液検査だけだから正確な状況はわからないけど。

少しずつ、とてもゆっくりと病状は進行していると思いつつ、いつまでこの状態が続くのだろうとなんとも言えない不安を感じるようになったのもこの頃かもしれない。

辞めなければ良かった

同時に仕事を辞めたことをとても後悔していた時期でもある。

良く言えば、仕事を辞めていたからこれだけつきっきりで介護ができた。

しかし私自身はそうは思えず、仕事をしていれば入院してもらうことができたんじゃないか。

そういう風にしか捉えることができなかった。

実際問題、仕事しながらつきっきりなんて無理な話。

仕事をしていれば、入院するしかなかっただろう。

今から在宅介護を考えている人は、できれば仕事を辞めないことをお勧めする

仕事がキツければ、他の仕事に移ったり時間を短くするのは良いと思う。

しかし、辞めてしまうと24時間家で顔を突き合わせることになる。

それはそれでキツイ

仕事をしていてもキツイが、息抜きになる。

行き帰りの時間は1人でボーっとできる。

何より、人と話すことはとても大事だ。

仕事を辞めてから、人と話すことが極端に少なくなった。

子供や母とは違う、他者と。

よく育児中の母親が、大人と話す機会がなくなり病んでしまうという話を聞くが、それに近いかもしれない。

人と話さないと語彙力を下がる。

信じられないかもしれないが、そんな状態で久しぶりに人と話すと言葉が上手く出てこないのだ。

一度子供の懇談会に行った時の話。

毎回軽く自己紹介をするのだが、その時に初めて言葉に詰まった。

今までそんなことは1度もなかったし、むしろ人前で講話などをしていたことを考えると私自身信じられないことだった。

とりあえずその場は取り繕って終えたが、とてもショックだったことを覚えている。

ブログを始めたのも、文章を考えて発信するということをしなければ私の脳が退化していってしまうような気がしたのもある。

しかし、不思議なもので人と関わりがなくなると今度は人と話すのが面倒になってしまう。

この状況が悪化すると鬱になるのかもしれないなと思いながら日々過ごしている。

それを回避する答えは今のところ出ないけれど。

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