難病母と30代シングルマザーの介護日記:介護4年目~終わりは突然に~

介護日記

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徐々に悪くなる身体

在宅介護を始めて4年目

この頃には、spO2:90%が普通になっていた。

ほぼ寝たきりの状態で、動くのはトイレとお風呂だけ。

しかも、トイレも一人では行けなくなった。

車椅子に座っただけで、spO2が80台前半まで下がる。

初めは介助でトイレまで行っていたが、徐々にそれもキツくなり、とうとう常時ポータブルトイレになった。

食事もこの頃になると、だいぶ少なくなった。

元々少なかったのが更に少なくなり、ご飯は茶碗に半分以下

おかずもお皿に少しづつといった感じだ。

しかし、そこはこだわりが強い母。

量は食べれないのだが、沢山種類は食べたいと言う。

勘弁してくれと思いながらも3、4種類作る。

仕事をしていたら間違いなく無理だっただろうなと思う反面、仕事していれば仕事を理由に拒否できたのにと思った。

久々の発熱

9月頃、久しぶりに高熱を出した。

39度まで出て、本人も気力なくキツそう。

動けなくなり急遽オムツに変更。

お粥が食べれたことと、水分が摂れていたのが幸いだった。

いつもの抗生剤を飲んで様子を見る。

なんだかんだ言いながら、また1週間もすれば良くなるだろうと思っていた。

しかし、今回は違った。

1週間経っても熱が下がりきっていない。

1日1回は37度5分以上の熱が続いた。

こんな事は初めて。

とうとう薬が効きづらくなってきたということだと思った。

そんな状態が1か月続き、熱と同時に酸素の上がりも悪くなった。

ベッドで寝て10Ⅼ流していても90%を切るようになり、とうとう濃縮器を2台稼働することになった。

7Ⅼを2台で最大14Ⅼ流すことができる。

正直在宅で流す量じゃないけど、そこは私が看護師だからということらしい。

ここまで来ると中々外出もままならず、つきっきり状態になった。

この時初めて母がお風呂に入りたくないと言い出した。

今まで熱があっても、どんなに身体がキツくてもお風呂だけは入ると言っていた母が、自分から入りたくないと言ったのだ。

それだけ身体がキツくなってきたということなのだろう。

段々出来ることが減っていく。

今までがそれなりに長かっただけに、出来なくなっていく段階がやけに早く感じた。

終わりは突然に

体調が戻りきらないまま1か月が過ぎ、その時は唐突に訪れた。

また熱が39度近く出たと同時に、spO2が70%台まで下がった。

14ⅬMAXで流しているのに上がらない。

やっと80%になるかどうかの状況だった。

それでもなんやかんや喋れていたので少し安心していたのだけれど…

夜になって、「この苦しいのをどうにかしてくれ」と言われた。

しかし、手が必要であれば介助はできるが、私に出来ることはこれ以上ない。

夕方に一度、酸素が上がらないことを看護師さんに伝えていたのだが、もう一度連絡することにした。

看護師さんはすぐに来てくれ、状態を先生に電話。

先生から直接話があると言われて替わると、予想外の言葉が返ってきた。

「今日看取りになるかもしれないが良いか?」

一瞬頭が真っ白になった。

こんなに急に?

先生や看護師さんからしてみれば、全然急ではない。

いつ状態が悪くなってもおかしくなかった。

それはわかっている。

でも、私にはその時が来るのがあまりにも急に感じた

昨日普通にご飯食べてたよね?

朝、凄く喋ってたよね?

それがなぜ…

色々な思いが駆け巡る中、看護師さんと一緒に先生の到着を待った。

その間も母はずっと苦しそうだった。

意識がハッキリしている分、苦しさが募るばかり。

そうして、先生が麻薬を持って来てくれた。

母は以前から麻薬に関しては否定的だった。

それは、父が使用していた様子を見ていたから。

亡くなる前日に、父は痛みが強かったために麻薬を増量し、その後丸1日意識がない状態で最期を迎えた。

そのことがあったために、麻薬を使用したらそのまま逝ってしまうという思いがあったのだろう。

そのため、母は頑なに鎮静をかけることを拒否していた。

しかし、今回は違った。

自分から初めて眠りたい。楽になりたいと言った。

看護師さんの話では、本人が楽になりたいと言っても家族が拒否することもあるらしい。

間違った麻薬の知識から、本人はキツイのにそれを家族が受け入れられないそうだ。

考え方は人それぞれだが、誰だって痛い、苦しいという状況は嫌ではないだろうか。

どんな状況でも生きていて欲しい

皆その思いは一緒だろう。

そうして、麻薬を使用してもらい母は眠りについた。

その様子を見て次の日の朝、看護師さんが様子を見に来るということになった。

しばらくして眉間のしわが取れ、普通の寝顔になり安堵した。

それと同時に明日目覚めることはあるのかと、言いようのない不安に駆られた。

寝るに寝られず悶々としながら朝を迎える。

最期の別れ

そうして、朝を迎えたがなんと意識が戻っていた。

と同時に苦しさが増したようで、呻いている。

看護師さんが朝一番に来てくれ、状態を先生に報告。

本人の意向もあり、昨日より多めの麻薬を投与することとなった。

「これで楽になるからね。看護師さんがそう言ってるんだから大丈夫。」

私がそう声をかけると母は頷き、眠りについた。

そして結局これが言葉を交わした最期となった。

看護師さんはその日お昼にも来てくれた。

その時も本人の意識は戻らず、血圧も低下し、尿も出ていなかった

看護師さんから

「夕方また来るけれど、それまで持たないかもしれない」

そう言われた。

このまま目を覚ますことは、きっともうないのだと悟った。

看護師さんが帰ってから、泣いた。

そして、その日の夕方。

母の呼吸数が徐々に減ってきた。

もういよいよだと思い、迷った末に私は学校から帰ってきた娘を呼んだ

帰ってきた時は、母はいつものように寝てるんだと思っていた娘。

母はきっと最期に声を聞きたいだろうと思ったから…

案の定娘は号泣しながら、嫌だと叫ぶ。

でも、もう苦しくないんだよと伝えると、

「ばあば良かったね」と声をかけた。

二人で号泣しながら、ありがとうと声をかけた。

そしてそのすぐ後、母の呼吸は静かに止まった

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